現実、現実。

時間が、日が、・・・まるで一瞬の出来事のように
私の目の前を過ぎ去って行く。

ようやく、日記を書くことができるほどに
心が落ち着いてきたようだ。
もう、あれから一週間も経ってしまったというが、
私にとってこの一週間は三日ほどにしか感じられない。

今まで見てきたことはどうあがいても現実であり
決して何事もやりなおしは効かない。
でも、なぜそんな現実があるのか・・・
元々理由のないことでも理由を求めたくはなる。
結局、理由を求めたところで、過ぎてしまった現実は
変更できないが、ただ、納得が行かないのである。

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今年の11月22日に、南アルプスを彼の友人と共に
縦走していた私の父は帰ってくる予定だった。
大無間山のあたりだが、行程が予想より長かったのか
予定通りに下山することはできず、一日延長を決定し、
23日に下山することにしていたという。

23日にその友人から友人の妻への電話があった。
この山は携帯はほとんど通じないのだが、
その電話が来たときはちょうどかろうじて電波が
通じる領域に差し掛かっていたという。
父は携帯を持っていなかったが、その友人からの
その人の妻への連絡で、
「小無間の小屋を過ぎたところだからもうすぐ帰る」
という内容があり、そのことをその妻が私の母へも
連絡してくれたため、母はひとまず安心した。

小無間の小屋というのはもうほとんど最後の方であり、
つまりその電話があってから三時間後くらいには
下界に下りていてもおかしくはない。

母は、父が温泉好きなのを踏まえて、
下界に下りたはずの時間よりさらに一時間か
二時間してから、まだ帰ってないのかと
父のたどり着くはずの寮へ電話をかけた。
ところが、二時間どころか五時間以上経っても、
全く電話が通じない。留守のままのようなのである。

再び、父に同行しているはずの友人の妻へ
電話をかけると、そちらも家に着いてないという。
もう日は沈み、ほぼ夜になっていた。

私はそのとき母の話を聞いて、ひょっとしたら山で
もう一泊することに決めたのかもしれない、と思った。
しかし予定より既に延長され、翌日は会社がある。
どうも妙だ、と少なからず胸騒ぎがした。
とにかく父からの直接の連絡が欲しかったのだ。

結局その後は何も連絡が来ないまま、24日になった。
その日は何事も普段通りの学校生活を送った。

———-

学校から帰ってくると、普段は母が家にいるはずなのに
誰もいない様子で、自分で鍵を開けて家に入った。

机の上に置手紙があった。

「静岡へ行ってきます。後でまた電話します。」

ただそれだけしか私は知ることが出来なかった。
机の上に地図や時刻表が広げられているのが見えた。

私はすぐに大雑把過ぎる行き先、静岡、が気になった。
だが、静岡ということである程度の事は予想した。
父のことに違いなかった。恐らく山で遭難、もしくは
重傷を負って入院したか・・・などと考えた。

父も心配だが母もしばらく帰って来なくなるのだろうか。
私は一人家に取り残されてしまったのである。

祖父から電話がかかってきた。
まるで私が家に帰ってきて状況を把握するのを
待っていたかのようなタイミングであった。

*「お母さんは帰ってきた?」
A:「いや、それがまだなんだけど、どこへ行ったのか、
 いつ帰ってくるのか、いろいろと詳細が不明なんだ」
*「確か出掛けるときうちに電話をくれたのは
  一時頃のことだったよ。まだ帰ってないのか・・」
A:「僕は今帰ってきたばかりで、ちょうど、
  静岡へ行く、後で電話する、とだけ書かれた
  置手紙を見つけたところなんだ」
*「お母さんはね、お父さんを迎えに行ったよ。
  ひょっとしたら今日は帰って来れないかもしれない。
  夕飯は自分でなんとか食べるものはあるかい?」
A:「ああ、ちょうど一人分ならご飯もあるし、
  なんとかなりそうだよ」
*「そうか。じゃあもうしばらく連絡を待つかい」
A:「ああ」
*「じゃあまた」

祖父の妙に緊張した声によって私の不安は高まった。
そのときメッセなどが通じた人には、私は不安の中
その気持ちをいろいろと喋っていた。

その後も祖父や、母の友達、兄、などと
普段この時間にそんなに電話をかけてこない人から
次々と電話がかかってくる。
電話に出るたびに私の不安が増していたことは
言うまでもない。
兄にいたっては、
「結論から言うと、母さんは帰ってこない」
などというのである。
詳しい情報があるなら、私も聞きたい。
しかし、聞けなかった。

電話の合間にメッセで、大事には至らないはずだと
自分に言い聞かせるかのように言っていた。

大丈夫、
祖父は、父は軽い怪我で病院に運ばれたはずだと
再び連絡してくれたし、翌日までには連絡があるはず。

そんなことばかり考えていた。
日は暮れようとしていた。そんな矢先のことである。
また電話がかかってきた。祖父からだった。

「お父さんのことだけどね」



   「亡くなった」


思わず息が詰まった。

「え?」

「病院・・・(この後の言葉は記憶なし)」

「とりあえず、今からそっちへ行くからね」

全く、私はこのとき驚きと恐怖を感じる以外の能力を
失っていた。ただ部屋を歩き回って祖父を待った。

祖父が家に来てくれた。
「大変なことになったよ・・・」

そんなはずがない。全くあり得ることのないことだ。
信じない。信じられない。

———-

夜遅くに母は父と一緒に帰ってきた。
私は自動的に思考回路を切った模様で、何も考えず
白い担架を兄と共に運んだ。

部屋に敷いておいた布団の上に、全身白で覆われた
“父”を寝かせた。

顔にかけてある布はめくられ、私の感情及び思考は
ほとんど停止していた。

この後、どのように事が運んだかは誰でも容易に想像が
つくかもしれない。
今では遺骨・・・・・、、となって、帰ってきている。

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父は大無間山という、道が比較的よく舗装された山で
なぜか道を違え、さらには沢へ下り、30メートルも
滑落した。胸と背と腰を打ち、右手はざっくりと割れ、
肺には穴が開き、腰骨は砕けてしまった。
数十分も生きてたかどうかさえわからないという。
ところが救助はその25時間後であった。
出動可能ヘリの4機中3機点検、1機故障。
他県の防災ヘリが出動、途中燃料切れで引き返し、
その後到着となった。

このあたりの山は、一般的には
小無間、中無間、大無間、という順に登って下りる。
また、途中で脇道へ入って下りるルートは取れない。
ところが、電話連絡が来たのは小無間である。
これは後から予想したのだが、逆コースを辿った
可能性も十分にある。

ところがこれでは、電話連絡についてつじつまが合っても
大無間にて滑落したというのがつじつまが合わない。
事後の伝聞に不可解な点が生じているのである。
父の友人の、そのときの同行者は生きて帰ったというので
週末に詳細を聞かせていただくことにしている。

———-

父は、帰ってこないのだろうか。
どこかにいるという風に考えたいのである。

でも、もう帰ってこない。
時間は勢いを増して過ぎ去っていく。

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