受験生に光あれ

世はそろそろクリスマスだそうですね。

雪も降ったとか…。

確かに寒くなってきました。

でも実は心が冷え切っているともう訳がわからない感じでどうでも良いのです。

私は…

受験生、受験生…受験生……

……そう言えば推薦だとかその他でもう我が高校にも戦線離脱者が結構います。

友人も言ってましたがこれは我々にとっては一足早く決まってもいない浪人の気分を味わわせることになるのです。

別にだからといってその人が嫌だとかいう風にはなりませんが。

―――――――――――――――

何故私ってこんなにも頑張れないんでしょうかね…。

使ってる時間は他の人と変わらない訳ですが…。

でも単純に今の状況を見直してみれば

目の前にはたった一つだけやけに高いハードルがあるだけなんです。

いくら助走したってロイター板使ったって超えられないようなハードルが一つだけ…。

しかしそれは誰にでも超えられると言われています。

頑張っているうちにどんどん低くなっていくハードルだそうです。

何をどう頑張ればいいかについても既に決められています。

落ち着いて手順を踏めばどんなに厳しそうに見えていたとしても超えられるそうです…。

だとしたら何が私をここまで駄目にしているのでしょうか。

私自身にこれ程気力を阻害するものがあるとは思えません。

私自身は、ある程度なら嫌いな物事でさえ何も感じず引き受け続けることができるように思えます。

実はハードルを越えようとして走ろうとしたときに私の近くにももっと形相の凄い人がたくさん走っているのに気づきました。

そして走り出してみると、だいぶ先へ行ってる人々に気づきました。

そしてそのうちの何人かは、超えるだろうと思っていたハードルへの道から横へそれてそのまま素通りしていってしまいました。

気づいたらまた周りに誰もいなくなり一人で走っています。

近くにいた集団がさっさといなくなってしまった模様です。

しかし錯覚も起こっている模様で、だいぶ先にいるように見えたりだいぶ手前に見えたりしている人もいます。

ハードルも同様、距離感がつかめなくなってしまっていました。

そして疲れからか心労からか、朦朧として自分の状態がわからなくなり、どの程度の力が残っているのかもわからなくなりました。

そして少し前に、心臓が破れて血が内部で流れ出しているような感覚に囚われました。

いつしか私は呪いのような暗い闇に包まれていて、周りに人も見えなければハードルもほとんど見えなくなりました。

外から、ハードルへ向けて走る者への応援が一瞬聞こえたような気がしましたが、それは私に向けても言っているようには全く聞こえませんでした。

私は過去に一度ハードルを飛んだときの記憶を必死に思い出そうとしました。

でも記憶自体はすぐにでてくるのに、そのときの気力の源がわかりません。

当時も一度闇に包まれかかっていました。

ところが完全に包まれるか否かのときに何かで闇を一気に浄化したようです。

そのきっかけは結局良くはわかりません。

でももしかしたら当時のそれは親の応援だったのではないかと今頃思えてきました。

しかしそれが正しいとすると、今の私には闇を切り裂くのに何が有効なのかはわからないことになります。

そもそもわかっていたら今頃視界は良好なはずです。

この必要なものというのが、本当にこのハードルを超えようと思っているかどうかという気持ちそのものだとは言われていたような気がします。

しかしこの気持ちは私でも持っているはずです。

ではどういうことかというと、どうもまだ気持ちの強さが足りないようです。

ハードルを越えたらやりたいことはいろいろあるし、ハードルを越えたその向こうに行ってこそさらに超えられるハードルへ向かいたい気持ちもあります。

しかしこれらは錯覚の影響もあってか、ハードルを越えなくてもできるように見えてしまう瞬間があります。

つまり、ハードルを越えるための決定的動機にするにはどうも甘いようなのです。

それではどうすればいいのかとなると、人それぞれ解決法が違うようです。

私の場合の解決法は私が見つけなければなりません。

一つ可能性があるのは、一般的には避ける手法なのですが

逆にハードルを越えなかった場合に自分がどうなるのか、本当に錯覚のようなことがありえるのかを真剣に考えてみることでした。

私の場合ハードルを諦める時点で、推薦やAO等をとっていた訳ではないので

浪人しか選択肢は無くなります。

――私が国立しか狙っていないのを知っている人なら

私学、専門学校を狙えばいいとおっしゃるかも知れません。

しかし私は、説明しきれない程多くの理由があって国立しか狙えません。

一番決定的な理由は、父が亡くなってお金がそんなにないことが挙げられます。

本当にそう思っているならもっと頑張ってるはずだと思われるかもしれません。

しかし実際気が滅入る方が先行するばかりで、そうでもなかったのです――

浪人してしまうと、私が十八歳を迎えたことによる遺族年金の減少もあって

さらに家の状態が悪化してしまいます。

そうすると、ただでさえ二浪はできないという緊張の上に

受験に専念するなんてことがもうできなくなるかも知れません。

そうすると私は何処へ行くのでしょうか。

得体の知れない職場に就くか、いや大学を出ていないとかなり就職口は減りますから最悪の場合フリーターとあまり変わらない状況になるかもしれません。

こうなると延々と将来不透明の日々を送り続けてくることになります。

最近は学歴全く関係ないという職が特にIT系で増える傾向にあります。

もしかしたらそんなところへ行くことになってしまうのかもしれません。

私についてある程度知っている方ならIT系就職は私にとって嬉しい筈だと思うかも知れません。

しかしそう思っているならIT系職業について認識が甘すぎると思います。

昼も夜も関係ないような人間離れした生活では私の身は恐らくそう長くはもたないだろうと思います。

そうでなくても作業内容にしてもIT系であればなんでも良いなどというのはとんでもない話です。

我侭に見えるかもしれませんが、しかし私は自分の嫌なことはしたくないというのではなくて、私のやりたかったことを実現させたいのです。

他にも、自分というものが本当はどうしたいのかがわからない、恐らく幸せになりたいだけなのだろう、と思っている人を見たことがあります。

この期に及んで私にも同じ傾向が現れてしまったのかもしれません。

しかし私は、これとは違った心が存在することを知っています。

私が高一くらいのときに、とにかく何かを開発したくてがむしゃらに趣味に打ち込んでいたときのことは良く覚えていますし、いくつか、それが大成功したという経験も持っています。

元は些細な一言二言のふざけたような発言から始まり、しかし段々にそれを大発展させていった思い出があります。

こういったときの心は、幸せになりたいとかいうものよりさらに高次のものだったと思います。

求めること、実現させることに関して貪欲でありながら、しかし最高の正統さであったと信じています。

私は、この心を永遠のものにするために、必要なハードルを今越えなければいけない、ということだったのです。

どうか、見守っていてください。越えさせてください。お父さん。ばあば。みんな

そして私は、自分でだけ自分を励ましつつ、全力を出さなければなりません。

どうか我々に光を。
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