今日も独り言

昨日で試験も最終日を向かえ、昨日の帰りは最後だと思ってバレーに参加、そして帰りも二名の友人に連れられて新宿へ寄ってみた。

もっとも私は新宿へは用がなかった。本来なら真っ直ぐ家に帰るはずだが、やはりこれも最後になるのだろうということで経験を積むつもりで友人について行くことにした。

片方の友人にしてみれば私が新宿へ行くのが何故か面白いことらしく、写真まで撮られた。私は電気街じみた所なら大体行ってるつもりだからそう珍しいことではないのだが。

その友人としては私を電気街とは大分違った場所へ連れて行きたいらしかった。

メールで他の友人にも私がその場所へ行くことを伝えているらしく、また伝えられた相手さえ面白がっているようだから手に負えず、勝手にさせておくことにした。

実際のところ、一概に言えば私はゲーム売り場へ連れて行かれたと思う。

この学校の友人にはいつまでたっても理解してもらえないと思うが、私はゲームそのものにそんなに関心はない。正直にそう感じている。

私は、ゲームに使われている技術に興味があるだけで、ゲームそのものにはたいてい数日もたたないうちに飽きてしまう。もちろん例外もあって、数ヶ月ほど遊んだことのあるゲームもあるが、やはりゲームをやろうと思うよりは技術を見ようとしてゲームを始めるのがきっかけであるのには変わりがない。

どんな技術を見ているのかと友人が聞いてくれればいいのだがそんなことを言うわけもない。私としては実際には影の処理やカラーまたはバンプ等のテクスチャーの解像度、物理計算の完成度や風の再現、布の接触判定、炎の表現手法ならびにパーティクル描画、3Dオーディオなどの完成度を気にしてやまないのだが……。

2D系統は基本的にただ描画関連にしか研究心が向かず基本的には3Dの方が興味があるのはこのためだ。

それは置いておいて、私は友人にはただ萎えたと言っておいた。

ただし、場所に対してだけ萎えてるのだと思われていたのは間違いない。

君たちに対して萎えているんだが。

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私は大学に受かったらとりあえず今の学校の友人の多くとは仲良くやっていけるとは思えない。

私は趣味と、大学で研究したいことが大体一致しているのだが、

一見した限りでは友人の多くは私とは傾向が完全に食い違う。そしてその友人同士ではある程度同じ趣味がある。例えばゲームに関してそのように見える。

他人なのだから食い違いは当然のことなのだが、私が高校以前からしばしば感じてきたこととして、皆同じ趣味を持ちたくてこのように趣味を流れに任せている部分がありはしないかと思うのである。無意識領域下であるとしても。

趣味は何だと聞かれて素直にゲームと答えている人を信じられないのはこのあたりの考え方に基づいている。趣味というのはそもそも探求して終わりのない性質というのがどこかにある。しかしゲームは少なくとも探求ではないと私は思っている。既成物を取り込んでいくのがただ好きなだけに過ぎないのではないかと。自分自身で探求はしていない。だから私にはそれほど価値はない。

大体はゲームは読書くらいのものととっていい。ただし読書は、読む側がそれを書いた人の考えや異なる読み方を探求するところがあるが、ゲームはどうだろうか。時間の無駄だとたまに思うのはこのあたりのことが主な原因である。

とりあえずここまで言えば仲良くはできなさそうだと想像できる。

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ここまで書いたのだから人間のもう一つのパターンも書いておこう。

昨日のこの時の友人の一人は私の言っている事が矛盾しているようだとかわからないとか感じて笑うことがある。本人としては恐らく意識せずに。ただ嫌な笑い方ではないからぎりぎり許される感じだろうか。

ところでこの笑いについてだが、紙一重のところで相手の気持ちの想像が変わる。

とりあえずこのある友人について言えば、余程自分に自身を持っておられるようである。この人は絶対自分が正しいと思っているに違いない。

もちろん本人にそんなことを問えば即座に否定されるに決まっているが、

そのあたりが余計腹立たしいところである。本人にいくら意識がないとはいえ、他人の意見をその人自身が可笑しいと思っていない理由に対して何も考えずに笑うのは馬鹿らしい。

このときこの笑った人の考えとしては、まずその人は自分を世間一般の常識の塊であると決定して、自分の感覚を勝手に正当化していると思われる。

そもそも「普通」とか言うのは当人にとって従う考え方がないときに無難な考え方を探すためにあるもので、人の考えを最初からこれに当てはまるようにすることに何の意味もない。

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さてここまで書いてきて、後者の方を書いている途中にこれを自分に当てはめてみた。

するとやはり感じていたとおり自分にも当てはまる時があるようなのである。

それはどんな時かというと、自分の予想している、もしくは考えられる範囲から相手があまりにかけ離れた考えを持っているときである。

つまりあまりに「変」だと感じると、もはや相手の考えなどわからないということで理解しようとさえしない可能性があるのだ。

こうなってくると大変困ったもので、謙虚になってたってそう簡単に直せるものではないし、逆に言われる側になったときにそれをこのパターンがきたということで解釈して受け流すことで解決するしかなさそうだということになってくる。

大変居心地が悪く感じられるが、しかしこの程度の処理は実は普通に会話しようとしたときは自然になされるものだから、結局は話すときにあまり曖昧なことを言わなければ大丈夫だと思う。あくまで自分の意見であるとし、常識などというものを持ってこなければ解決するだろう。

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結論として友人たちに対して少なくとも一度以上は思ったことを正直に書いてみる。

「大学入った後も、そんなことを続けるのでしょうか。」

今の物騒な世の中、こんなことを言ってると本当に煮るなり焼くなりされそうだが、こういったところだけは、我々の学校の人は違うだろうと信じてみる。

わかるだろうけど、友人に対して、私はよく怒りを覚えてはいるものの滅多に口には出さないことにしている。それに、その方が自分が外から見て本当に可笑しいときでも特に害が無いため……。

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ほら、仲良くできそうにはないでしょう。

本当にそうなら多少残念なことです。

まぁ実際のところ、高校にて私と本当に話が通じるような人は一人もいませんでしたから…。

大学で考えのわかりあえる人を探すかな……。いなかったりしてw 有り得ますね
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