法則

以前読者様の一人から、――――― ←これは一体何かと聞かれたことがあるので

一度ここでも記しておきます。

短いダッシュは話に少し間をおいている感覚です。同じ話題に対して、”意識して”少し視点を変えてみようと試みる時などにも使っています。

長いダッシュは完全な話題変更を意味します。元々は、 VB Wander World 時代の日記が同日に複数投稿できなかったことからついた習慣です。でも現在でも私は、管理の関係で、同日の日記はできる限り一つの文章にまとめて書こうと思っているので、複数の話題があるときは長いダッシュで切ってから続けています。ただし、時々、長いダッシュで切られていても日記全体で一つのテーマを一貫していることもあります。その時のテーマは隠語のようにしてタイトルに記すこともあります。全体でテーマが一貫しているときは区切られたどの部分でも文体が全て日記体であることが多い傾向があります。

そして”一行空け”は基本的には段落変更を見やすくしたようなものですが、段落変更よりもずっと細かく切っているときがあります。このようなときは、”一行空け”の部分で、いちいち一瞬の間をおきながら考えているようなイメージです。場合によっては視点変更も起こります。

以上、自分の特殊な表記法です。中学の頃から大体このスタイルで固定しています。

読みにくい時は申し訳ありません。

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ある友人から今までの私の作曲もどきについてご意見を頂いた。

私は今のところ、コードを考えるのを面倒くさがって、ほぼ勘で全ての音符やドラム譜を書いているが、どうもそれが少し問題ということらしい。なんだか仕上がりに無理があるとのこと。

もっともな意見だと思います。言われなくてもわかっていました……。

音の移り方には法則があり、それを外れすぎると気持ち悪くなるわけですが、見事になんだか気持ち悪いんですよね……全体的にil||li _| ̄|○ il||li

でもその前に、音楽全然勉強してこなかったし、そもそも私楽譜さえ読めてませんよ…?(死

あ、なるほど……論外だったか……。

一度何人かで真面目に音楽カンファレンスとかやってみたいですね。

というか私に音楽を教えてください……。(何

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兄:「――――――」

母:「――――――」

夕食の席に兄が来る可能性は昼の母の唐突な発言から気付いていた。

「今日はお兄ちゃんがお昼食べに来るからね」

実は、私がこの種の言葉を聞くときに最初に感じることは

「なぜそんなに嬉しそうなのか」

という感覚である。だがそれも殆ど感じない。既に興味はない。

――――――――――

私は、自らかけている、自分自身への無意識の制約に気付いた。

私は、身内、親戚といった関係にある人に対しては”普段の私”では居られないのだ。

その状態の私は、同じ物事に対しても、持つ考え、感情、行動の全てが異なる。

――――――――――

夕食の席で兄と母が話している。

話の半分近くは馬鹿馬鹿しい。相手にしたくない。面白くもない。

途中で元の家に関係する話になった。だがあくまで”兄の家”としてである。

とは言っても別に兄がそこに居られるということに対して何を感じているわけでもない。

そのようなことには元から興味はない。

私には関係がない話だから、私には要らない話だ。

私はこの話には関係がないから、私はこの話には要らない。

私はここには要らない。

だから、私はここには居たくない。

私はそこでは既に人ではなかった。

完全に自らの存在を無視した。消したかった。

それで、空気のように、何も影響しないものとして存在した。

そして、話が私へ向けられることもなく、私は一言も喋らなかった。

だがこれは特に今夜に限ったことではない。

いつしか私は話すことをやめていた。

しかし時に、それまで全く読めなかった両者のその瞬間の心が読める。

私が関わっていないために読みやすいのかも知れない。

全く性質の異なる振る舞いを見せる両者は、その差にも拘わらずどちらも過去もしくはそれから予測される未来の私にあり得る考え方と共通点がある。それを利用して推測程度なら可能なようだ。

――――――――――

だが残念なことに、やっと苦労して気持ちが読めるようになったからといって、彼らに対して元の私の心を取り戻すことはできそうにはなかった。

私は幼い頃に、その頃の強い自身の感情、苦しみから、自分自身の手によって、私自身の心を全力で封印してしまったことがあった。そのときから私の心は曲がってしまった。

その苦しみの感情の原因が何であったかと言われれば、直接の原因には一人の人物がすぐに挙げられるが、正確に言えば、私を含めた家族全員でさえ当てはまる。

つまり、誰も悪くなかった。

初めから少しずつずれていた。別におかしな事でも何でもない。むしろそうでないほうがおかしい。

だというのに、幼い頃の私は全てを、全てをかけて呪った。

実際には関係ないのだろうが、それ以降様々な生死に関わる事件は身の回りにはあった。

そして私は、全てを呪った時に、自身の心に絶対に近い制約をかけてしまった。内容は今では良くわからないが、もしかしたらそれが原因で、身内へは本当の心を殺し、仮想の心で対応し、後にどんな人に対してもある程度仮面と化し、自分でさえ自身の心などわからなくなったのかも知れない。

制約は理論では簡単に解くことができるのに、もはや現実に解くことは私にはできないように感じられてきた。

――――――――――

そうやって私は、いつしか、諦め始めていた。

兄に対しては完全に心を消して話し、母に対しては以前の母とは違う認識で心を半ば消して接し、祖父とは毎日会っていても一言も話すことは無くなってしまった。

しかしこの家に移ってきた頃は、その時今よりずっと話しにくい状態だった祖父とも話したし、母ともまだ普通に接していた。だから、最近また変化があったのだ。

――――――――――

私はどこまでも戻れないところまで行ってしまう気がした。

気付いたときはいつも、その考えは既に遅すぎた。

もしかしたら誰も悪くないというのは間違いだろうか。

もし本当に私が全て悪いのであれば、私が全てを負っても構わない。

私はそれを負うことに対して何を感じるわけでもない。

――――――――――

私が人に合わせようとしている時などの気持ちも、一部は制約された心の派生である。

きっと赦されたいのだろう。幼い頃の私の呪いから。そんな考えでは無理だというのに……。

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……何をくだらないことを書いているんだろう。消そうかと何度も思う。

だが書いたからには何か意味があったのかも知れない。だから残しておこうと思う。
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