存在

私と同じような立場にある友人が我先にとmixiアカウント及びブログを削除し始めた。

こんな事をしている場合じゃない、と。

これから書く文章はそういったことに対して意見するものではない。

あくまで、こういった流れを受けて、私がこれからどうするかを明確にするための、私に向けての意見書である。反対意見を持つ方にとっては反抗的に見えるかも知れないが、断じて反抗をするつもりで書いたものではないのでご了承いただきたい。

―――――

正直に言えば私としてはショックだった。

それまで書き綴られてきた友人の文章が次々と無くなっていった。

ネット上での存在感が忽然と消えてしまった。

私も彼らと同じような立場だ。

この一年は受かるための一年。

勉強が許され、勉強だけが許される一年。

それ以外のことをするならば、自己責任。

そんなことはわかっているつもりだった。

しかしいざこうして周りの友人が決断に踏み切り、次は私なのかという状況に立っても、私にはわからなかった。

私にとっての、これを消す意味がわからなかった。

確かにこういう文章を書くのにはある程度の時間を費やすことになる。

それは勉強の妨げにもなるかも知れない。

しかし、これらの文章はまた、それを書くのに費やした時間も含め、後になってから過去の自分の行動を正確に思い起こすことの助けにもなっている。

文章に書かれていない部分は、自分にだけ、補って読み取ることができる。

だからこれが自分にとっての”日記”となり、他の人から見れば”或る人の日記”になるのだ。

書かれていることは氷山の一角に過ぎない。しかしそれでいて、書いた自分にとっては特定の日や、その日の思考を思い起こすのに十分である。

私にとって過去の自分は、自分で見ると嫌になってくることが多い。

過去の文章を振り返ることによって、過去の自分や現在の自分が嫌になってくるのは当然のことだと私は思っている。

だからこそ、私にとっては、文章は消すべきものではなかった。

どれほど嫌に感じても、そんな自分がいたことを反省し、常に変えていけるような、そんな気がしていたのだ。

だから、私は恐らく日記を消すことはないだろうと思う。

どうしてもこんな事をしている場合ではないと思えば、その時は更新が滞るだけだろう。

――mixiについても、あまり見なくなることはあるかも知れないが、私は消すことはないだろうと思う。私を見ていてくれる人がいる限り。

以前の私は一人でも全然平気だった。孤独を感じる以前に、独立行動を求めるようなところがあった。でも現在では、一人でいることは寂しいと感じているのかも知れない。

私の今の立場というのは、もしかしたら一人で黙々と自分との戦いをするような限定的なものかも知れないが、私はこれを将来までずっと続く考え方や行動の基本を作るためのものだと捉えたい。

だからかも知れない。私は、mixiやブログをさほど勉強妨害だとは捉えていない。

皆でそれぞれの考え方や行動を示したり、それに対する意見や励まし合いをすることは、大いに価値のあることだと思っている。

これが、今の私の考え方である。
—–

You may also like...

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。