忘年会

 気付けば30日になっている。

 今も私は課題に追われ余裕がないが、逆にこういう時こそ、私には別のことが必要だと私は思うことができたから、中高時代の五年間に渡る思い出のある、地学部という部活の忘年会に参加できた。

 28日の12時集合で、参加しようと思い立ってからも色々あったが、なんとか間に合った。それから色々なことをして、最終的に解散したのは翌日の午後四時過ぎだった。

 最初はパスタの美味しいところで話しながらの昼食をとり、その後カラオケへ行った。


 このときのカラオケについてだが、部員は大きく分けて、

・(我々の歳にしては)どうみても古すぎる日本の歌を良く歌う人々
・アニソンマスター
・洋楽マスター
・マイナーマスター

に分かれる。メジャーな曲も知っているのだが、各人、専門曲を出すのに結構精一杯である。

 このときの曲目はマイミクにもっと詳しく書いている仲間がいるが私も覚えている範囲で書いてみる。


私が歌えたもの:

 ARIGATO
 Same Direction
 Faint
 暁の車
 黄昏の賢者
 schwarzweiβ縲恂カの向こうに繋がる世界縲鰀
 聖少女領域
 禁じられた遊び
 雪、無音、窓辺にて。

その他:

 卒業
 高校三年生
 宇宙戦艦ヤマト
 マジンガーZ



 カラオケの後、予約をとってもらっていた和民の時間まで時間があったので、スターバックスに行った。十一人は外の席を埋め尽くした。そのまま語り合いだけで時間を潰すことができた。途中で披露されたマジックは面白かった。

 途中で雨が降ってきたので本屋に行った。その後和民へ行った。

 和民では飲み放題に食事付きで三千円だった。そして食事が予想以上に多く出た。普通に満腹になることが可能だった。私は飲むことに関して大体経験も積んでいたのでコントロールが可能だった。最初の一杯は一気飲みは避け、一口飲んだらしばらく食事をしていた。或る程度食べてから残りのビールを飲んだ。因みにここのビールは私の記憶にある他所と比べて美味しかった。それからサワー二杯を飲み、ここで飲むのはやめた。

 飲む合間にも色々食べていたため、コントロールは成功し、全く平気だった。顔色も今までで一番程良い色だった。しかしどう考えても調子が良すぎたのでこれは例外として記憶に留めておこうと思う。このときの私の「調子」というのもこの手の場では今までで一番良かった。その後その調子でビールを幾らか追加したりサワーの余りを飲んだりしたが、調子に全く変化を来さなかった。

 主に大学でのことや今の流行り、そして我々は中高のあいだ男子校だったため、そういう意味でその後いい話があったかなとか、そんな話題で盛り上がっていた。

 その後一次解散となった。私は私の決めていた理由もあり、最後まで残る決意があった。

 酔った一行は再びカラオケに行った。このときの私は一番調子が良かったのではないだろうか。このときの曲目は大分様相が変わっていたように思う。私は自分ではあまり入れずに他に任せた。カラオケは自分で選曲しなくても楽しめるものである。やり方次第だが色々なやり方がある。このときは特に面白かった。

 その後二次解散となり、残りは友人宅へと押しかけた。この時、確か午前一時を過ぎていたと記憶している。一行はその友人を含めると五人だった。皆、傘を差していたにも拘わらず雨ですっかり服を濡らしてしまっていた。

 友人宅では皆で交代しながらスーパーファミコンのドンキーコングをやっていた。一時は私の自宅へと案内しようかと思っていたが、私は昔からゲーム機はポータブル系含め、例外なく一機も所有していないため、招いたら後が大変だったかも知れないと思う。

 そして一晩でドンキーコングをクリアするという快挙を成し遂げていたらしい。らしいというのは、途中で私は意識を失ったからである。意識を失う前に、最後に時計を見たとき既に午前六時をまわっていたのが印象に残っている。

 一度気がつきかかったが、そのときにはゲーム機を片付け終わるところだったようだ。

 再び目が覚めたのは寒さと電灯の眩しさによるものだった。目の前には一人の友人の姿があり、ソファーに身を預けるようにして倒れていた。私はふらつきながら電灯を消し、再び床に倒れた。服はまだ濡れていた。

 他の友人は布団を借りて眠っていたらしい。流石に布団は借りたらいけないと思っていたが、寝れば死ねる状況だったような気もする。

 最後に友人に起こされたとき、私は既に生体反応が無かったと言われて面白かった。

 幸い風邪もひかなかった。元々私は風邪には滅法強く、精神的に病んでさえいなければ体は風邪をひくことはまずない。ここ十年くらいを振り返ってみても、風邪には強かったと言える。逆に精神が病に弱くなったが。

 何度目かに意識を覚醒させて時計を見たときは八時か九時だった。友人の親が朝食をマックグリドルで買ってきてくれた。本気で申し訳なく思った。ありがたく思った。

 皆が起きてから十二時までの間は音楽に関することを話すことが多かった。実はこのとき残っていたこの五人は全員、音楽に興味を持つ人間だった。方面は違えども。

 それから皆で昼食をとった。バイトの話が多かった。私はバイトの話となると自分のあまりの特殊さのために逆に話せなくなってしまう。これは恐らくバイト以外の分野でも同じ現象が起きているだろうと思うが、バイトの話ではより単純化され、事が明確に見えた。

 その後も話しながら駅に着いた。ここで解散しようとした。ところが解散途中に何故か会話がやまなくなって立ち話が何十分も続く。そこでドトールに寄って会話を続けた。

 そしてそろそろお別れだ、と私がその駅で二番目に解散したとき、時計を見たら午後四時を過ぎていた。

 本当に楽しい忘年会だったと思う。貴重な体験だった、と終わってしまうものでもない。貴重なものを皆で共有している。共有し続けている。また会えたらいいなと思う。



 さらに私が感じたことを書いてみよう。

 以前からの私と同じく、私は自分に不足しているもの、必要なものがあるなと思ったが、ほんのわずかな部分は習得できたように思えるものもあった。それは高校時代と比べてではあるが。

 いくら気心が知れていると言ってもここまで仲良かったかなと思える部分もあった。大学の友人とはまだ日が浅いのに対し、この場での仲間は五年間以上の付き合いなんてざらだからだろうか。何かそれだけではないといったものは、確かに感じられた。理由などなく、そんなものを考えようと思ったことがなかった私に私は少し驚きさえした。

 皆で楽しく話していたが、話す内容が中高時代の私達では信じられないような内容であった。それに気付いた人もいて、皆大学生してんな、と言っているのは少し印象的だった。

 変わらない部分もある。変わった部分もある。新たな性質を身につけている人もいる。そんなところがちらほらと見えた。


 あともう一つ、これまでとは大分関係ないことで私が感じたことを書いてみる。

 会話に最適な人数単位というのがある。これは聞いた話ではなく私が感じたものであり、皆も感じることだと思うのだが、会話は奇数ではうまくいかない。偶数でないと安定しない。これは話し手の交代頻度の問題である。安定しているように見えても不安定を不安定と思わないような人が混ざっていることがある。二人が一番安定し、二人ずつを集合させると二人から別の二人へと影響が伝わって大人数の会話ができる。そんな気がした。

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