テレビがなくなる時

今の世の中、次から次へと新しい技術が編み出され、テレビは進化し続けている。
一般アナログ放送はあと三年もすれば全滅し、それらはデジタルに換わる。
テレビの大きさ一つとっても、近年だいぶ大型化、薄型化が進んだ。

テレビだけじゃない。世の中にはメディアが溢れ、情報が溢れている。
YouTube、ニコニコ動画、携帯におけるコンテンツサービス……
人は「人が作った」「面白いもの」を見つけ、それを見て漁るだけでも時間を「過ごせる」ようになった。


そんな中、テレビを抹殺するものが登場した。

「TV-B-Gone」は一撃で全てのテレビの電源を切る小さなリモコンである。
およそほとんどのテレビの電源を切るための信号を網羅していて、それらを全て片っ端から放つ仕組み。

テレビを見ていることが当たり前の世界から人々を現実に連れ戻し、人と人との会話をもっと盛んに、充実させるために作られたという。

私はTV-B-Goneの製作における製作者の考え方には強く共感でき、賛成派だ。
もちろんテレビには「考えながら」見て「教訓」になるところも確実にあるだろう。
私はその点においては否定派ではない。

しかしこのツールは他の人の手によって CES(Consumer Electronics Show、最先端の家電技術を展示する世界最大級の展示会)でも使われたらしい。
さすがにCESで使うのはどうだろう。私はCESで使うこと自体はあまり賛成できない。
私は救われた時間で何をするかといえば、CESにあるような新しい技術を考察するような人だからだ。

しかし逆に、こんなツール一つで見事にCESともあろうものを混乱に陥れることができてしまうのは別の意味で興味深いとも思う。


人々は常識的に、いや正確には無意識に、流れている物事を眺めている。
そんな中、突如それらが無くなったら人々は何を思うだろうか。

「普通は」それらは復帰し、そしてまた「いつものように」人々は眺め始める。
しかし、仮に普通でないことが起こったらどうするのだろうか。


私は何かを作るのが好きだ。
そして私は片手間に得られる情報以外は勉強したいもので勉強になるものを除いてあまり取り込もうとする人ではなかった。
そういう人であった期間が非常に長かった。
そして何かを作る上で勉強になることを吸収し、何かを作るだけで過ごし、いつでも作ることについてばかり考えていた時期が本当にあった。
作るだけといっても、人と協力もした。

後に自分の勉強の概念に拡張を重ね、それまで除外してきたことを取り込むことに対する嫌悪感は大方拭うことができたが、依然として私の性質はあまり変わっていない。


私は何かを見ること、知ることばかり続ける人に、それらを作ろうとしたことがあるかをよく質問している。
我々は、もっと多くの種類の行動がとれることを意識していなければならないのではないか。
特にネタなどであれば自分たちだけで作れるはずだ。他に素晴らしいものがある、と考えながら見る分には前述の通り私はあまり否定はしないが。


余談だが、私は何かを楽しむということが理解できなくなった時期も長くあった。
人が何かを見て笑う、これだけで嫌悪感を覚えるという凄い状態だった。
何故だろう。

もう一つ脇道の話。私は「一般人」が嫌いな人間だった。私の何かに共感を覚えてくれた人の中には、それに近い点で共通点がありそうな人もいたような気がする。
ここでの一般人とは、どんな人だろう。


あなたは、一般人ですか?



参照元:

あらゆるテレビの電源を切るリモコン「TV-B-Gone」を実際に使用 | GIGAZINE
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20080112_tv_b_gone/

どこのテレビもすぐ消せる、新型リモコン『TV-B-Gone』(上) | WIRED VISION
http://wiredvision.jp/archives/200410/2004102107.html
どこのテレビもすぐ消せる、新型リモコン『TV-B-Gone』(下) | WIRED VISION
http://wiredvision.jp/archives/200410/2004102207.html

You may also like...

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。