転科やその他の行方

お久しぶりです。ご無沙汰しました。

転科や、弓道などで心身拘束され、長らく沈黙していたのですが、
実は私にとって良い知らせがあります。

この度、転科試験に合格し、無事に通信工学科から情報工学科へ転科しました。
今月から、情報工学科の2年生として学校に通います。

今まで応援してくれた人、心配してくれた人、見守ってくれた人、本当にありがとうございました。
これからも、よろしくお願いします。

情報工の方、私は新入りとして、上手くやっていけるか多少不安はありますが、よろしくお願いします。

通信工の方、今まで色々応援してくれてありがとう!これからも、私が乗れそうな話や何かがあれば、いや何があってもぜひ呼んでくれ!

以下は、今まで黙っていた分、少し長い文を書いてみます。

——–
試験が近づくにつれて私は一年前のその頃の精神状態に近づいていった。

時間があっても、できることが減っていった。

本当に、どうなっているのだろうか。
何か行動しようとする気力そのものが、何故か無くなってゆく。


高校の途中から浪人時代の終わりまでの私には、感情はあってないようなものであったことが多かったから、どんな精神状態でも、殆ど何も起こらなかった。

だが入試を志半ばで幕引き、弓道部に入ってからは感情を少しは取り戻してきている気がする。

私は感情が無かったのではなく、感情を捨てたがっていた。心にかかる負担が多すぎると感じると、無意識にそうなってしまうらしい。感情の変化が心に負担をかけているように感じられてしまう。


試験当日。
よく晴れた、静かな朝だった。
誰も居ないコンクリートだらけのあの場所で、一人エスカレーターに乗る。

ここのエスカレーターは速度可変で、人が乗っていないときは極端に遅い動きをしていた。私が近づくと、やっと気が付いたというかのように速度を上げた。

事前に通知されていた私の受験番号は1番だった。
だから予想はしていたが、実際に教室に入ってみると、受験者は私一人だけだった。

しばらく待機していると、若くて優しそうな先生が問題用紙を渡してくれた。

最初の問題は数学だった。
予め情報工学科の先生に出題範囲について質問したときは、恐らく入試範囲だろうという回答もあったが、実際は大学一年修了程度の範囲だった。

私はこういうテストでの数学が苦手だったから、試験勉強は数学のみに徹していた。数学以外は全く手をつけないほどだった。

だが前述のように、試験が近づくにつれて勉強も進まなくなった。

はっきり言って、数学は失敗だった。

私はそうなることを予想していたため焦りは無かった。ただ、残念なのは、SITの教養数学に私が苦戦しているということだった。元々国立大に行きたくて、SITは受かっても行く気はないなどと言っていた私には本当に悲しく情けないことだった。


今の私の力は、中学一年の頃の方針転換の影響を強く受けている。それ以前は計算は得意で、高校で習うあたりまでの物理と中学で習うあたりまでの化学を独学していた。当時もコンピュータは使っていたが、使い方は他の小中学生と大差なく、詳しいことは何も知らなかった。中学に入ってから友達に勧められてやっとメールアドレスを取得して喜んでいたような時代があったものだ。

だが中学受験は「受かったらコンピュータを思う存分扱って今までより優れたことをする」という、特殊な夢を抱いて乗りきったものだったため、そこで方針転換となった。私が小学生時代にやり残したこと、もしくは打ち込むわけにはいかなかったものの一つがそれだった。

以降プログラミングやCGやDTMなどコンピュータでできること全般に全力をかけるようになった。必要な情報はそれまで同様に本を読むことで補い、必要な時は貧弱な電話回線でインターネットに接続して調べた。それらの方面に関しては、日本語の情報は殆ど無い場合が多かったから、他の言語の情報ともにらめっこせざるを得なかった。後にケーブルテレビの回線が使えるようになったが、私のコンピューターに関する基本はその時には既に定まっていた。


英語、小論文は全力を尽くした。悪くない出来だった。小論文は後の面接で言いたいことを再度意識する助けにもなった。

各教科毎に問題用紙を渡したり回収したりする先生は代わっていた。


三教科終わった後、面接までに時間があったので昼食をとった。

豊洲校舎にはファミリーマートがある。そこのおにぎりを買った。私はおにぎりでは「ねぎとろわさび」が好きなので、コンビニでおにぎりを買うときはまずそれを探す。今回は幸いなことにねぎとろわさびがあった。食べてみると、本当にトロマグロが入っていてわさびもわりと辛口で非常に美味しいものだった。ここのねぎとろは私がそれまで食べてきた中でも一番美味しいものだった。

余談だが二番目に美味しいのはバイト先の近くにあるサンクスのねぎとろだ。バイト帰りにほぼ毎回買っている。


面接では、それまでの試験で現れた三人の先生全員が私の前に並んだ。

ではどうぞ、と言われて私は自分の方針や能力をできる限り訴えた。先生方は全員、私の小論文を含む試験答案のコピーを持っていて、それらを見ながら私の話を聞いていた。

一人の先生はこうも言ってくれた。「そういうことなら受け入れてあげたい」と。だがこうも言われた。「数学が苦手ならうちではやっていけない」「この結果を見る限りでは厳しい、受け入れ難い」「数学ができないから論理をやりたいと考えているならそれは違う」と。断じてそのような因果で転科に踏み切ったわけではなく、転科理由は小論文にもはっきり書いてあるのだが、予想通りの責めはあった。対抗するための言葉も用意していたが、説得力が足りなく感じられ、上手く言えなかった。結果、私は面接でも上手くいかなかったと感じた。

—-
試験が終わってからは、私は精神的に疲れが出てきてしまった。何もする気が起きなかった。
試験直前までは自分の趣味でやっている勉強くらいはやればできなくもなかったが、この段階までくるともはや生きているだけになった。
一年前はこの状態が何ヶ月続いていたのだろうか。

試験が終わった日の直後から、弓道部の活動が再開された。
正直に言って、弓道部どころではない、休みたいといった気持ちだった。この時ばかりは不登校やら引きこもりやらの気持ちがわかった。

弓道部の練習自体はそれほど大した負担でもない。しかし、朝六時頃に起きて準備して家を出発して、部活だけの一日を終えて帰ったら夜の七時とか八時とかになる場合が本当にある。これは大きな負担になる。
一度部活終わってから家に着くまでの時間を計ってみた。乗り継ぎも悪ければバスも無い時だったか、片道三時間かかっていたことがあった。

実際、弓道以外何もできない日々は続いた。弓道自体は好きだがこういう時間の減り方は好きではなかった。

弓道に関しては、新人戦が近付いていた。練習試合もあった。
この時の練習試合の後にはコンパが予定されていたので覚悟していたが、思っていたよりずっと平和で、色々料理を味わいながら他校の人と話すことができた。

高校時代の友人が私の転科試験のお疲れ会を企画してくれた。
多くの人が集まったが、実際に会うのは初めてという人もいた。
なかなかに平和で、楽しいひとときだった。
私自身、高校時代のノリというものを少し忘れていたこともあって、それについて少し思うところもあった。
大学に入って、私はいくらかの面で方針変更を行っていたのかも知れない。
考え方について、過去のものに戻った部分もあれば、それまでになかったものに変わった部分もあるのだろう。

そうこうしているうちに春合宿があった。
去年の夏合宿に比べたら余程快適な合宿だった。気遣う気力は今回あまり無かったが、それでも或る程度は平気な合宿だった。
食事時でも練習時でも真夜中でも常に気を張っていなければならないようなことは今回は皆無で、その点夏合宿とは明らかに違っていた。
それでも私は合宿最後の方で疲弊しきっていた。疲れなど感じなかった。

私が特に気がまわらない時の理由を少し考えてみた。気がまわらない時の私は集中力や注意力が全体的に失われている。これが起こる場合の一つには私が何か考えに集中した場合というのがある。
しかし合宿中には他の要因があるように感じられた。


合宿最終日の正午に転科試験の結果発表があった。
正午には間に合わないが、合宿を終えてそのまま皆で学校へ直行した。
私は主に試験結果を見るために学校へ直行したが、他の人は翌日にある卒業式に向けて先輩へのメッセージを書くなどの理由が主だった。

バス停付近で私は他の人とは分かれた。状況次第ではもう会わないだろうと伝えた気がする。

心身疲れ果て、重い荷物に耐えながら、僅かに残る期待が消えないよう注意しつつ掲示板まで歩いた。

そして、全く躊躇無く掲示板を見た。

私が基本に持っている性質の一つに、状況を無視した度胸というのもあるが、今回もそれは関係しているのだろうか。

最初に目に飛び込んできたのは私の名前だった。

次によく見ると、情報工学科と書いてあった。
さらによく見ると、合格発表と書いてあった。

どうやら、これが転科試験の結果らしい。
合格していた。

私は少し長い溜息をついた。

もう一度掲示板を見ると、許可書を取りに来いと書いてあったのでそのまま取りに行った。

それから、部室へと歩いていった。


今の時期の私はまだ、時々思うことがある。こんなことをしていていいのかと。いつまでしているのかと。

高校時代までは今では非常に実現困難なことを夢見ていた。

人は自身に気付かないうちに行動範囲の鍵をかけている。

高校時代までに私が夢見たことの一つに起業もあったが、「常識」を意識して考えれば今はそんなことに考えはまわらない。

その他、VRを創りたいと思ったり、人の思考を創りたいと思ったりしたこともあったが、大学入って一年も経った今、全くの手付かずとなっている。できたのはプログラミング言語をまた一つ覚えることくらいで、大したことはできていない。

理由の一つには一年次の夏に既に始めていた転科試験関連のことも無いわけではないが、大方、私の力は弓道部に割いたと思っている。

どうだろう。この先弓道部にどこまで私の力を割こうか。

弓道部にいた通信工学科の先輩は、多くを弓道に捧げたと言っていた。それもまた楽しい筈。

私の記録には時に弓道を嫌々やっているかのような記述もあるかも知れないが、実際はそんなことはない。時間さえ上手く使えるなら、今の五倍くらいは練習したいと思っている。

高校、浪人時代に私は叔父の影響を受けて、大学に入ったらひとつ弓道を始めたいと思っていた。

大学に関して絶望していても、私は弓道部は探した。そして多くを学ぶことを覚悟して入り、現在に至る。

私が弓道部を辞めない理由もそこにある。ここで辞めてしまったら、私はいつまでも気の効かない常識の無い感情の無い落ち着かない話せない不安定な人間のままかも知れないと思うと、まだ続けていた方が克服のチャンスは多い気はしている。


合格がわかった後も、弓道部の毎日練は続いた。
よろしくなどと言われた手前、私が気付くことができることは気付こうと思った。休むのも悪い、早く帰宅するのも悪いと思った。
大したことはできなかったが、それでも悪くないのならば、私はそれで良いと思った。

だが原因の取り除かれていない私の悩みは、耐えるのは一ヶ月程度が限度だったらしい。ここだけの話、一度休止させてもらった。


弓道が始まってから一気に時間が流れ始め、転科試験結果を十分に喜んだり人に伝えたりする暇もなく学校が始まった。

学生証を新しい学科として交換して貰った。
2008年度入学生となっていた。学科入学時年度が表示されるためらしく、これで正しいらしい。
学籍番号を見ても学生証を見ても、知らない人から見れば一年生に見える。

健康診断やガイダンスがあった。弓道部では新入生の勧誘もした。

二回目のガイダンスで、初めて新しい学科での、情報工だけでの空間を皆と共にした。

私は多くの人に合格を黙っていたから、この時点でも一部の人に驚かれておめでとうと言ってもらえた。
私が会いたかった人も、どのように会おうか思案していたら向こうから来てくれて話してくれて嬉しかった。

成績表を配られるときに、これまでの取得単位はどう処理されるのか聞いてみたら、なんと情報工学科での似ている授業に読み替えて、情報工学科で単位を取ったのと同じように扱ってくれるとのこと。但し、似ている授業が無いものも一つあり、それは専門として読み替えはできなかったとのことだった。しかし、それも卒業単位として総数にはカウントされるらしい。至れり尽くせりだった。

先生曰く、出来る限り楽になるようにしてあげたから、頑張りなさいとのことだった。

喜び勇んで外に出ると、卒業生の弓道部の先輩がこちらへ歩いてきていた。その先輩は情報工でもある。ここでもおめでとうと言ってもらえた。

この日のガイダンスで出会った人たちに私は一気に心を洗われた気分になった。本当に転科したんだと、やっとそんな実感が沸いてきた。


私はこれから一気に調子を立て直したいと思っている。再び新しくなった環境で、本当に楽しいと思える生活を始めたい。

高校時代、一時期「楽しい」という言葉にさえ嫌悪感を抱くことになってしまった私だが、
今では、平気で楽しいと言える。

やっと、楽になってきたのかも知れない。人生、不思議なものだ。

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