来週の講演、どなたか録画か録音をしていただけませんか

このところ色々ありすぎて記録をとれないでいる。
色々あるだけでなく、気候変化による体調の変化や外国から帰ってからの調子合わせなどで体がついて行かない部分もあるにはあるのだろう。その辺りにはいつも通り注意を払わねばならない。確実に衰弱してきている。

外国の出来事は正確に記したい。疲れ切っていない時が少ない今の状況では恐らく完成させられない。


今日は弓道部の幹部交代式があったが、一つ個人的に印象に残ることがあった。
20年度主将の締めの言葉に「できないものはできないと言い切る度胸を持つ」というものがあったが、
似たような言葉を繰り返した時期が私にもあった。

それは二度目の受験期を終えた後の、身も心も何もかもボロボロになっていた時だった。
あの時点で、私は親しい友人に告げた。
「私には……『できないこと』があるんだ……」

その時までの私は、やればできないことなど何もないと信じて、考えつく限りの最善を尽くす夢を見ていた。

しかしそこには、言葉には表せないような、或る意識の届かない条件下において不可能な物事が存在する確率が高い。そしてこの表現は、私にしか通用しない。
そんなことを、ただ漠然と感じたものだった。

ただ、私は未だ若さ故にこのようにも思っている。
「できないかどうかは、やってみなければわからない」

一見矛盾しているように見えなくもないが、「できないことが存在する」ことと「できないかどうかはやってみなければわからない」ことの間に矛盾はない。やってみてできなかったことはできなかったことだ。しかしそれは「できなかった」だけではなく、本質的に「できない」ことなのかも知れない。
どこかに、無理が潜んでいることがある。その場合を見抜くために、実践と比較が必要になる。

多くの人は或る程度の経験から、できないことを予め大きく推測して避けるだろう。
私の方法では失敗の数は多くなる。似たような失敗も増える。成長には相当時間がかかる。
この辺りは主将含め、多くの人とは逆行する性質になるかも知れない。普段はあまり得をしない性質だ。
しかし最終的には、問題をより詳細に突き詰めて可能性を広く持つことが出来ると信じている。

実はこの姿勢は理系としても必要なものだ。

とはいえ、常に固定した姿勢でいるわけでもない。いよいよ矛盾してくるが、場合によって或る程度は柔軟に姿勢を切り替えられるように構えようとしているのが今の私である。

これらのことを踏まえた上でならば、やればできないことは何もないだろう。

こうして私のフラクタル的な思考は続いていく。


話が長くなったが、「できないこと」は私にとって少し特殊な言葉であったため、少なからず印象に残った。

You may also like...

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。