昨日のお話

今回制作には膨大な時間がかかり、実際に完成したのは発表日当日の3限が終わる頃でした。
CG完成はその日の朝5時頃で、それから学校の1限を休んで2限を内職して昼食抜きで3限も休んで作業し続け、発表スライドは映像が完成してから作り始めました。
それから4限には出て新たな班決めには間に合い、それからも内職でスライド制作を続け、発表直前に完成しました。
当然のようにリハーサルの時間もとれず、ぶっつけ本番で発表でした。
そのわりには、というとおこがましいようですがそれなりには発表できたのかなと、自己評価としては上でも下でもなく中くらいかなと思いました。

実は30秒か1分に丁度で合わせなければいけないというのはあまり強調されていなかったように感じていたので、私はそのことに気付かず、1分に収まるようにと制作していたため、結果として時間を守れませんでした。

私たちの発表が、後に課題に取り組む人の参考になっていれば幸いです。

ぱっと見た感じでは、結構見に来てくれた方がいたみたいで、とても嬉しかったです。
連日の徹夜が報われた感じがしました。

私たちのCMは、もしかしたら例の研究室のHPに飾ってもらえるかも知れないという話になりました。

後日、私の例のネット上のフォルダにもパスワード付きで置いておくかも知れません。




以下長い蛇足です。

3DCGの制作というのは実は私にとって今回が初めてではありません。

小学4年生の頃父親に買って貰ったプログラミングの本にPC系雑誌の宣伝が載っていて、無料で購読できるということで申し込みをしてもらったのですが、その雑誌に3DCGのことが書かれていた時がありました。
その記事が気になってずっととっておき、中学受験が成功した後に中学1年の時に図書室に申請してその関連の本を買って貰い、そこからプログラミング以外に3DCGについての独学も始めました。

中学2年か3年の時に海外に3DCGプログラム製作者の技術の競い合いの世界があることを知り、そこで発表されていた当時のプログラムの素晴らしさに強く心を動かされました。
元々はこういう競い合いはAmiga(1985年のパソコン)など古い初代のコンピュータの時代に、限定されたスペックの中で如何に驚くようなプログラムが作れるかということを競い始めた時から始まっていたものらしいです。

参考:http://www.farb-rausch.com/
当時、ここの productions にある fr-025: the.popular.demo などを見て、宙に浮くほど心を躍らせました。
これは当時この世界では大変に有名になったプログラムでした。
farbrauschは素晴らしいシーンプログラミングチームの一つです。

日本ではこういうものを何故かメガデモと呼んでいるようです。これは多分、最初に日本にこういうものを広めていた草分けの人がこう呼んでいたからだと思います。海外ではシーンとかデモとか呼ばれていたと思います。

それからCGとそのプログラムの魅力に取り憑かれ、自ら制作したい意欲に溢れて独学で3DCGプログラムの制作をするようになったのが中学3年の頃でした。

中学3年の終わり頃から高校1年の頃にかけて、自分の所属していた地学部という部活のPRビデオを学園祭で出そうという話が出たのをきっかけに動画の編集の独学を始めました。
高校1年の初頭に出した作品ではいきなり3Dムービーの合成もやってはいますが基本的には2Dのエフェクトを用いた動画でした。

そして好評だったため、来年はもっと凄い物を出そうと、高校1年から高校2年の初頭までかけて制作した動画ではほぼ全て3DCGの背景と、青色画用紙を用いた実写合成と演算による音声とBGM、映像の4重合成などをほぼ全て一人で行い、長さにして約10分間もの動画にしました。使用ソフトウェアは映像以外にDTM系も含めると10種類以上に及びました。

ということでメディア系列の扱いとその系列のソフトウェアの扱い、そしてその系列のプログラミングは一通りできるので、今回はここぞと、それをアピールしただけという形に近いです。プログラム関係はアピールしてませんが。

ただし、勿論、今回初めて取り組んだ部分も多々あります。
大学に入ってからはネットワーク関係の独学をし、それについては友人にも多くのことを教わり、それも今回利用しました。
さらに今回CG制作に使ったソフトウェアは、過去に扱ったことがあるソフトウェアではなく、今回初めて使ったソフトウェアでした。レンダラーもこの種類の物は以前から興味こそあれ、使ったのは今回が初めてでした。


さて話が再び遡りますが、私が初めてパソコンに触れたのは小学1年か2年の時で、N88-BASICやMS-DOS、Windows3.1の時代でした。私は運良くパソコンを即座に操作できるようになり、その時触れたソフトウェアに当時流行っていた人工無能ソフトウェアがありました。確かそれは当時の一太郎のおまけ機能だったと記憶しています。当時は日本でパソコンがまだあまり普及しておらず、値段も高く、インターネットが出る前のパソコン通信の時代で、チャットまたはEメールが知られ始めた頃だと思います。そのため、人工無能はチャットなどを意識したプログラムとして短い間だけ流行ったのだと思います。

この時の人工無能のプログラムですが、コンピュータという、当時の私から見て、私の興味のある分野の最強形態であるものに対する熱意を込めたメッセージに対し、非常に不可解な返答ばかりが返ってくる物でした。
そこで私は強い疎外感を感じました。
私はこれ程素晴らしいものが道具の域を出られないことに引っかかりを感じ、それから、遠い将来には人工知能の研究をしたいと思うようになりました。
そのためにはコンピュータに関係することやそれ以外のことを独学する必要があると感じ、またそうでなくとも独学したいとも思っていたことから、手当たり次第に興味の沸くことは自分で調べるようになりました。

何故かやたらと説明してしまいましたが、これが私のルーツの一部です。

いつか、他にもプログラミングや電子工作や音楽などに関する私のルーツの話などする時が来るかも知れません。

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