慰安旅行

今、何故か手の指の付け根が引っ張られるような感覚で上手く動かない。
多分、バッティングゲームでバットを握った時の握力だけで筋肉痛になったのだろうと思う。
こんなところが筋肉痛になるとは思わなかった。キータイピングが一時的に全然出来なくなってしまった。



11月1日は学園祭にサッカーを出展していた。
今回使うLinuxは私の個人的カスタマイズによるサッカー専用OSだったが、肝心な部分の自動化が間に合わなかったので、細かい操作などは全て書き記して残りの人に後日を託した。
人は結構来ていた。ピンクのクマの中身はT研の先輩だった。
私はT研も回った。是非来て欲しいとある先輩からは言って頂いてもいるが、私は迷っていると伝えた。他大学志望は想定していないという雰囲気を感じ、そのことは伝えなかった。T研はとにかく行事や仕事も含めて忙しく、研究に専念出来ない人も居るらしい。色んな経験をするという意味で、部活にも似ている研究室なのかも知れないと思った。


2日と3日は弓道部の慰安旅行に参加した。

結論として、参加して良かった。参加できて良かった。一人密かに、心動かされた2日間だった。

慰安旅行は毎年行われているが、私はこの時期に家の都合で動けなくなることが多く、参加したことはなかった。一度くらいは参加したいと思っていた。
また、今年、個人的な意志が原因となった複雑な心境の中で、活路を見出すヒントを期待できると思ったことから、参加したいと思った。
今年は従兄弟の結婚式の日程が被っていたが、私は参加しなくても良いとしてもらえたので、漸く旅行に参加することができた。

私は今年は殆ど弓道部に顔を出さなかった。出席したのは三十三間堂、春合宿、OB射会あたりだけだったと思う。
それだけでなく、私はここ2年くらい、まともに顔を出していない。
理由はいくつかある。建前としては、2年では転科の代償、3年では何かと忙しいこととなっていたかも知れない。
だが本当は、大分違う。以下に併せて記す。

私は旅行前日まで、正直に言って怖くて仕方がなかった。何を言われるか判らないと思った。
私は死を覚悟する思いで、またも心を殺していた。
旅行では私は自己の意に反して単独でいることもそれなりにあったが、心境と合わせ、当然であり気に掛けることではないと思った。

私を案じてか否か、一人が会話の中によく1年部員の名前を示してくれていることに私は気付いた。
心が痛かった。

初日は雨だった。極度に低い気温により、思考力が奪われた。
観光の後は、ペンションに向かったが、ドライバー達は苦戦を強いられた。
高速道路では視界が朦朧としていた。後には雪まで降った。

夕飯の後、ペンションでの夜は楽しかった。

飲み会こそ単独だったが、誕生日ケーキはもらったし、1年にも大分話し込んだ。
弓道の話が軒並み通じなくなったと恐らく思われている人物像としての私がそこにいられることで十分満足だった。

流石に私にとっては飲み会より、解散後の3年での緩やかな談話の方が楽しかった。

また、この時から他の何人かの3年達の心の痛みまたは苦心、悩みを感じ取れた。
内容はわからないながらも、痛烈さだけは気付くことができた。

談話の後は再び単独に戻った。

風呂の場所を忘れたため、自室のシャワーを浴びようと思ったら、殆ど雪解け水のようなものしか出てこなかった。
私は冷水シャワーを浴びて、過去を思い出した。
私の今居る家が、数年前は冷水シャワーしか出なかったことや、その頃の地獄の状況が一気に思い出された。
過去から今に至るまでの心の動きを振り返った。
今まで目指していた物、失った物、本当に大事な物は何だったのか。
私の個人問題だけで解決しきれない様々な物事を想った。

私は旅行中に時々思った。
あまりにも疎遠にしてしまった輪に入る経験が初めてだったこと。
あまり変わらないでいてくれたらいいという観念がついに破られた感覚。
中高時代も含めて今まで私は一度も学生時代の学生の長時間の親しみを経験しなかった、できなかったという事実。


2日目の朝はパンが美味しかった。
なんとか晴れた日だった。
ガラスの美術館に行った。ガラスの品の中には、今居る家に大量に飾られているガラスの器に似たものもあった。家にある物も、昔に繁栄していた頃の名残と聞いている。

牧場に行った。遊園地とも言えるであろう場所だった。
ここにバッティングセンター風のゲームがあった。
総じて面白い場所だった。


帰りの車は一番孤独だった。

人生が何なのかわからない、などと考え始めた。
弓道部の人達は皆、人として強く見えた。

どうしてもっと一緒にいられなかったのかと自問し続けた。

何が大事かと言われると即答はできないが、確実に大事な物を感じ取った。
寧ろ、長い一生を生きていく中で、一番重要なことがこの表現できない無言の中に隠れているのだと思った。

急に喪失感に満たされた。

ふと、同じ車内で先輩が話している言葉に出てきた研究という言葉が聞こえて心が痛んだ。
そんな言葉聞きたくない。

聞きたくない。
機械も嫌だ。
機械について自分の知っていることを引き出したくない。

私は、人の傍に居たい。


私は、誰の信念を貫いてきたのだろうか。
私は、誰かの固定観念に応えなければならない思いにずっと縛られ続けてきたのではないか。
それは、おかしいとわかっていた。
わかっていて、なんとかしようと思い続けて、人にも散々相談して、自分の思うように行動したつもりがこのざまだ。

結局、頭良くだとか博士だとか研究だとか、良く分からない言葉に振り回された過去が過去でなく、今そのものだったというのか。

私は、単純な繰り返しの中にも、継続が意味を成すことを理解していたつもりだったのかも知れない。
本当は何もわかっていない。

こんなことを、皆は経験してきたというのか。

ああ、良く分からない。

私が誰なのか解らない。

私は何をしているのか。何をしようとしているのか。

理由が見つからない。

私は学生時代を生きながらに捨ててしまったのだろうか。
何も感じることができない。

私は、私は単調なことが嫌いだった。結構同じような物事が続くと、続けられなくなってしまう。私は日課を何一つとして持つことさえできない人間だ。
中高時代の部活は、基本的にお話が多かった。よく遊ぶこともあった。
私は、高校あたりからは殆ど部活に出なくなった。顔は出すがすぐに帰ってしまう人間だった。
帰ってからは機械の知識を日々身につけていたようなものだ。これを日課といえるなら、これが唯一の日課だろう。

私は決して話が苦手ではない。寧ろ誰にも負けない程に話し好きな方だ。
中高時代は特にネット上で学校での親友とチャットし続けることが良くあった。
一対一なら大いに話せたものだった。ところがネット上であれ学校であれ、複数人が集う場所では私は一気に孤立したものだった。
何故かはわからなかった。長年わからなかった。他人より聞き取りと思考に時間がかかって追いつけないという事が。
そもそも相手の言葉、文章の聞き取りに最大10秒かかる。その上、聞き取りに完全に失敗することもある。

私は自分が役に立てないことが耐えられない。
何かできることはないかと気をつけていても、苦手なことばかり見えてしまってうまくいかない。
結局役に立てない場所から身を引いてしまう。

私はいきなり深い心を割くことを期待しすぎる人間でもある。
誰か一人でも、浅い心で人と接している人間を見つけると、私は苦しみ始めてしまう。
例え相手に悪気が無く、相手としてもまだ慣れていないだけであったとしても、私はどうしても気にしてしまう。

私は希に、「絶対に」相容れない人間を発見してしまうことがある。
共通点は、ある面での常識が完全に存在しないというところにある。
私は今までなんとか無難に接することができないかと挑戦しているが、どうしても、無理な力はいつか亀裂を生じる。


ただ、何を言っても私は、人でありたい。
そうでなければ生きていられない。
「人間に興味がある」と普段言ってAIなどと言っていても結局それは

人への憧れに過ぎない。



旅行中に一人の相談する姿を見て、旅行の最後に、一人の涙を見た。
せめて、少しでも相談にのってあげられたらと思った。

彼らは幸せだと思う。
人としての生活、幸せな感覚を私は感じ取った。

私が、何もすることもなく暇なのに何もしなかった、という訳ではないと一応思えるのがせめてもの救いなのかも知れないが、そんなものは既に全く救いにはならない。
私はただ失うだけではなく、代わりに得たものもあったはずだと言えるだろうか。

でも少なくとも今は、部活の方が余程楽しいものに思える。

この2日は、とても楽しかった。
貴重な時間を共有できた皆さん、ありがとう。


複雑な思いであれ、このような思いをすることが貴重ならば、きっと私もまた、幸せな人であろう。

叶うならば、今一度、彼らが経験してきたようなことを私も経験してみたいと思う。

彼らの中には私を部外者としてでなく扱ってくれていた人がいたような感覚はある。
思い違いでなければ、きっとまだこの話は続くだろう。


結局活路は見いだせたか判らないが、そんなことより価値のあるものがあったことがわかった。

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