許容

今日は情報工の研究室配属調査の日だ。

予備調査では私の第一志望が2番人気だったので、今更ながら少し心配し始めている。
一応、転科試験の時から小論文や面接などで志望の旨を示していて、最近では研究テーマの内容について相談していた仲だったので、これで落とされることはないだろう……と期待している。

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最近少しずつmixiアプリへの招待が増えているが、私は時間の扱いが下手で、mixiを定期的に開いていないこともあって、今のところは受け入れていない。

既にアプリに触れている方々に質問があるのだが、この招待は自動的に行われているものなのだろうか、それともこの場合は私を指名して招待してくれたものなのだろうか。

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朝、登校するときには私は電車内で半分眠っていることがある。そんな日には、学校の最寄り駅で電車から降り、歩き始めてから5分程度の間、色々な旋律を思いつくことがあることに最近気づいた。そのまま一曲分程度思い浮かぶ。この瞬間を過ぎると、普段通りの頭に戻り、かなり苦労しないと旋律が思い浮かばなくなる。

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11/8

8日は弓道部の新幹部が決まった。
私でも、現3年達の思いもある程度感じ取ることができたと思う。

私独特の思いとしては、「溜め込む」という見え方と、それに対するイメージへの違和感があった。

私が周りからどんな人間に見えているか全く知らないが、私は溜め込む人ではないと思う。だからそういった人の気持ちの大部分は、私には読み切れないのだろう。

人間は難しいもので、機械におけるコピーのような、完全な意志の引き継ぎなどできないから、例えば弓道部が十年先にはどうなっているかなどと考えたらわからないものである。だが、だからこそそこに変更の余地もあり、期待されるものもあるだろう。


現3年達と食事に遊びにと、遠い昔のことのようになっていた思い出の焼き直しのようなことがあった。
特にラウンドワンのことは本当に懐かしく思った。
娯楽なのに、郷愁にかられる気持ちは強かった。

相変わらず人の心の真の姿を読み切ることはできず、何が望まれているかもわからなかったが、それでもこの時を楽しむことができた。

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11/11

恐らく、思っていることや心と、実際の表情が違ってしまうことは私以外の人にもあることだろうと思う。

だから私は最近では、他人の表情を見たときに、どこまでそれを読むべきか、また読み取れた感情の原因は何か、の判断に全力をかけている。

この日は科学未来館に行った。設計が一部、まるで豊洲校舎そのものだった。
本当はE先生の側で行われていた発表会を見に行きたかったが、両方採ろうとしたら何故か失敗した。発表会の方は終わり頃に見に行って、参加者の話を聞いて回るのが限界だった。

私は雨の日には、低気圧で体調が悪くなり、特に頭の回転が普段よりもさらにずっと悪くなる。私が殆ど機能を停止して無口になってしまう条件は、雨の日や冷え込んだ日、そして朝、さらには騒音である。

恐らくこの日も、頭が働かなくて思い通りに行動できなかった。

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11/12

U研のプレゼミ課題がプレゼン資料だったことから始まった企画があり、コンピュータ系サークルの友人に誘われてそのメンバー達と発表会を行った。
意見を心ゆくまで出し合える良い機会で、非常に面白かった。
彼らは毎週のようにこういったことをしてきた人達らしく、頼もしい人達であった。
私が知らなかっただけで、こういうコミュニティは確かにあったようだ。
これからも機会があれば是非参加させて頂きたいと思う。

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11/14

幹部交代式に参加した。

練習までの時間に、色々と話せて楽しかった。
少しずつ、これまで意識せざるを得なかった壁が薄くなるような、距離が近づくような気がして嬉しかった。

その後の練習にも参加した。恐らく春合宿以来である。
細かな記憶は、実際に道着を手に取り、弓を手に取るに従って、最近のことのように思い出された。
特に大事には至らず、私はまぐれで中てることもあった。

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11/15

納射会があった。

一応中ったので個人的には気分が良かった。
出来なくて当然という意識があったので、一本失っても全く焦らなかった。所作は覚えていなかったが。

余興ではずっと尺二を狙ってはいたが、個人的にはよく中ったと思う。
中るだとか中らないだとか、中てなければ、といった焦りが今回なかった点では、以前にはない、良い状態だった。

相当疲れていると思われる人も、皆中したり良く中てたりしていて、何か計り知れないものを感じた。


二次会も皆と一緒に過ごした。
繊細すぎて、私に読み切れなかったものも多かったかも知れないが、言葉以外からも相手の心を読み取ったり予測したりできてよかった。

帰り道でも話をしていく中で、やはり距離が近づくような気がして嬉しかった。

私は辛くないというか、私に話してくれないことの方が辛い。
とは言っても、こんな急に出てきた私にそう簡単に深い話をしようとは思われないだろうとは思っている。
結局、話してもらうことで楽になるのは私だけで、相手を救ってあげられるかどうかはわからない。

私は溜め込む人ではないつもりだが、聞ける話と聞けない話はある。
相手が本気で悩んでいたらその悩みを聞いてあげたいと思い、私に思いつく限りのことは言ってあげたい。
逆に、自分はこんなに良い状況だと自慢するような人がいたら、私は聞けない気がする。

結局、見かけ上での、今の自分が飛べる高さより上の話は、私がその上に上がるべきであるような焦燥感を誘い、高さ不明な話や、下の話ならば、もしかするとそれを私が引き上げることができるような気がしているだけに過ぎない。結局私は自分の高さや安定を無視してまでの助言はできない。これは、過去の経験から私について断言できることだと思う。

しかし、多分一つだけ例外があるのではないかと思っている。相談相手が一番大切な人であるとか、そんな場合には自分を無視できるのではないかと思っている。だがこれについては、以前ある人と話したときに、そういうのは保たないのではないかという感じの話を聞いた。こればかりは、私には予測しかできないので、この先何かを経験することにはなると思う。

また、いくら許容できる話といえども、一人の人が受け入れて意識に置くことができる容量には限界があるだろう。私の容量自体は小さいが、今はまだ大分空きがある状態だ。

よく、「自分のことで精一杯だから」という表現があるが、私は何故か、自分のことが容量一杯になっていても、人の話なら受け入れられると思えることが多い。ただ、自分のことが精一杯になれば、自分が飛べる高さが下がることになり、確かに受け入れられる話の見かけ上の高さは下がっていく。

話してくれた人には、私の同種の悩みのようなものも話している。
こういった話が通じるという安心感が持てるためである。

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