演習とか

私には読み・書き・そろばんの能力がない。
より正確に言うと、聞き、話す能力もない。見る能力もない。知人が目の前を横切っても気付かないだろうし、人が髪を切ってきても服を買ってきても気付かないだろう…。

何が言いたいかというと、知覚全般において、あまりにも人より処理が重すぎる。
機械に例えて言うならS5Proのような感覚。
S5Proはカメラだが、重い処理をしすぎて、連写が群を抜いて遅い。
だが画質は群を抜いて良い。その点S5Proは私よりずっと優秀だ。

聞き、話す能力が重いのは深刻だ。頭の回転が速い人がいると、その人の話を聞き取って自分が話す内容を構成する頃には違う話題になっている。

――

今日のE先生の演習では、経過報告中に、何故画像処理の方面に行かなかったのかとか、何故あんなとこ(S研究室)に行っちゃったんだとか、色々できるのに勿体ないとか、色々言われた。どうも私の研究室選びは相当影響を与えているらしい。
でもちゃんと仲間に入れてあげるから心配しなくていいよとも言われた。

画像処理では力量以上に期待されすぎている感があるので全力で取り組んでいる。
でもまだ待って欲しい。まだ3回目の授業時点ではそんなに完成していないから…。
どこまで冗談か読めないので真面目に応えると、私ができているのは画像読み込んでグレースケール、縮小、微分フィルタをかけるところまで。まだマッチングについては何も進んでいないし、第二候補以降の手法についてはこれからという状況である。
本格的に実装が進んで幾つかの手法に手が回ったら、使えそうな部分は回したり、教えたりといったことを、望まれていれば本当にしようと思う。

――

私はこの学校では珍しく力を出そうとしている方かも知れない(他の人は、人によっては、こんなところで力を出しても何にもならないと思っているかも知れない)。
しかし私は、自分の課題遂行能力の低さを嘆き続けている。何とかして上位の人々に追いつけないかと悩んでいる。例えばの話、東大の情報科学科の人であれば、私が数十日かけて遂行する課題を1日でやってのけるかも知れないと思う。
原因は分かっているが、対処が難しい。私以外の人にも当てはまるが、思考停止点が存在するのが原因だ。何かを思考しているときに、何らかの、思考の変化が停止して循環、無限ループしてしまう状況である。厄介なことに、それは数日前の思考内容であれ数年前の思考内容であれ、場合によってはいつまでも全く同じ方式や内容が繰り返し現れる。「~をやらなければならないのに…だ」という考えは要注意だと思う。恐らく、何かの妨げに感じているものは大抵の場合、妨げにはなっていない。寧ろこの場合、妨げに感じている物を明記しようとしたらできないのではないか。それが思考停止を招いているのではないか。

――

新しい領域やその領域の人に出会ったとき、確かに「接点」というものを必死に探す。
今も、丁度探しているところである。
私の場合、大抵は要領よく見つけられないので、結局は同じ時間、同じ課題、同じイベントを一緒に過ごしていく中で、共通の記憶を持つことを接点としようとする。
それによって、価値観や考え方も推測がつくようになるはず。
だが、弓道部では上手くいかなかった。と私は認識している。
近年ほとんどいなかったとはいえ、時期によっては結構居たはず。それでも話題に追従できない。特に漫画やゲームの話をされると毎回お手上げである。

そう、メディアに詳しくなっておくと簡易接点を持つことができ、それに対して思考した内容を相手に問うことで相手の価値観や考え方を推測可能になり、より適した話題を選択できるようになる。意外と、小学生ぐらいの頃から自然と発生している現象である。
私は小学生の頃は物理パズル、電気、科学の本や雑学の本などを良く読んでいたから、無駄にランダムな話題提供ができていた。今は極度に専門化しているため、私の領域にヒットしないと反応が薄いが、ヒットすると反応が強すぎて相手が困るほど、という風になっているように思う。

人は人に対するとき、相手に何かを期待する。
この期待と合う応答を返せるかどうかは、何によって決まるのだろうか。

私は、この先、接点を見い出せないで終わりたくはない、と思っている。
それではただのパソコンオタク、便利屋さんでしかなくなってしまう。それは私にとっては悲しい結末だ。


もしかしたらAIも、期待にもし完全に応えたならば、人間にしか見えなくなるだろう。

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