Jailbreaker

いつか、何でもいい、とにかく記録を書きたいと、ずっと思っていました。
ところがいつの間にか言葉を失ってしまっていて、書きたくても書けなくなっていました。

それでも日常生活する分には問題なく、声に出して何かを話すことは普通にできていました。
ただ、思うことを、ただ自然に書き起こすということが全くできなくなっていました。

仕事にも支障はありませんでした。報告書など、何か客観的なことを書く分には、特に違和感はなかったのです。

書けなくなった原因は恐らく精神的な不調だと思います。
その不調の原因は、正直に言ってよくわかりません。
何か一つのことが原因だったのではなく、様々な問題が積み重なって、ついに全面的に崩れてしまったというような感覚があります。崩れてしまっただけでなく、回復するために必要なものもなくしていたような感覚もあります。

一度崩れてしまったものは、急には直せませんでした。
精神面の不調をある程度直すのに去年一杯かかり、そして140字以内の短文で少しづつリハビリのようなことをしながら、なんとか、思ったことから文を構成する力のようなものを取り戻しました。
こんな事に能力が必要だなどとはそれまで思ったこともなかったので、不思議な感覚です。

いざ書き始めてみると、随分と心地の良いものですね。

しかしまだ病み上がりなので、以前のような無闇に長い文は書かないようにしたいと思います。

できる限り話題を飛躍させず、無理をせず。それでいて、妙な展開や文体になっても、一々気にしないようにしておきます。
そうしないと、まだ文が構成できないのです。

去年までのまとめも、いつかは書きたいと思いますが、今は無理です。
精神面の回復もまだ完全ではありません。
今年の4月に、新天地にて真に全力を尽くし始める時が来るので、それまでに回復できれば、それで良いと思っています。
まとめもそれまでに記せたら良いなと思います。
ただ、こうしてものを書くと言うことは、今後は回復に良い影響を与えそうなので、徐々に何かしら書いていきたいと思います。

――結局一度もお医者様に診てもらうこともなく、ここまで回復させました。
恐らく、自分の意志でお医者様に診てもらうことができたなら、その行動を起こしている時点でほぼ治ったようなものだったのではないかとも思います。

回復の過程で、一番重症な時に起こる現象のうち幾つか細かいことは忘れました。
個人的に思っている、回復のために必要な能力として、忘却と、記憶しないこと、認識しないこと、があるからです。
ある程度回復するまで記録をとれなかった、あるいはとらなかったことは、忘却に関しても良い影響を与えたかも知れません。
忘れるべき事は忘れた今、問題のない記憶として残っている部分を記してみたいと思います。

まずはっきりしているのは、2006年のような、直接心臓が痛むような苦しみはありませんでした。
あったのは、幻聴に近いけれども幻聴ではなく、聞こえるという感覚ではなくて、ただ脳裏に直接、ただひたすらに無数の言葉が浮かんでくる現象です。
人は誰しも、黙って物事を考えると思いますが、その考えるという部分に外部から勝手に言葉が流れ込んできて、全て中断されてしまう感覚です。

これが、何をしていても、必死に振り払っても、私が最も集中できるはずの趣味に取り組んでいても、寝ていても起きていても浮かび続けました。
浮かんできた言葉の内容は大概忘れました。ただ、とにかく思ってもいない、思いたくもない、自分が考えるわけがない言葉がひたすら大量に編み出されては浮かんでいきました。

それは、ただひたすらに個人や団体や状況などを酷く否定し、批判する言葉のみでした。繰り返しますが、思ってもいないことばかりでした。私はそんなことは考えていない。けれど頭の中は次第にそれらの言葉で埋まり、実際、これは明らかに日常生活に支障が出ました。行動力は極限まで落ち込んだと思います。行動力の落ち込みのせいで、病院に行けないどころか誰に話すこともありませんでした。

今ではこの現象は完治しています。半年から一年ほどかけて、自然治癒しました。
重要だったのは、忘れること、記憶しないこと、認識しないこと。
そして、思考の大半を棄却すること。

ほんのわずかでも、くだらない、と思えるものがあれば、思考が形を持つ前に全て捨てるような意識でした。
それは自分の中の言葉に対してだけでなく、他人の発する言葉に対しても必要でした。

今でも、少しだけですが、他人の言葉をくだらないと思って無視することがあります。
一時的に「そういう状態」になると、例えばTwitter等で見かける言葉の全てが、自分のものも含めて、くだらなく思えます。

まあ本当に当然のごとくくだらないのかも知れませんが。
ただ、そんな風に思ったこと自体認識しないというか、気にしないことを心がけました。
よって、そうと気づかずに完全無視することがあります。

それでも、それで良いのだと思います。
普通の人はそれくらいでないと、生きていけなくなると思います。

――人には、個人差はあれど、辛いことを考え続けることに関して、どこかに限界があると思います。
辛いこと、というと大分限定的な言葉ですが、例えば何かを批判するようなことをずっと考え続けていても限界が来ます。人によっては数年間に渡って批判的なことを考え続けることもできるかも知れませんが、それでもいつかは限界が来ると思います。

私は明らかに、こういうことに関して精神が弱い人間です。
例えば原発に関しての論争。
あれは、原発批判者の言葉を聞くのも、批判者に疑問を抱く声を聞くのも、どちらであっても私にとっては「辛いこと」です。ここでの辛いことというのは、心に負担がかかる、と表現すれば良いでしょうか。
こういうことを聞かされ続けると、比較的簡単に中毒を起こしてしまうのです。

ただ誤解を避けるために記しておくと、私の精神的な故障は、原発論争によって引き起こされたものではありません。個人的にそれよりも、遙かに、辛いことが沢山あったのです。

私が経験したようなことは、比較的誰でも経験することでしょう。
恐らくこの文の読み手のうち何人もが、ここに記されたことをくだらない、自分の経験の方が余程優秀だ、と思い、そう思ったことにも気づかずに無視するでしょう。

でも、それで良いのだと思います。
――そんな風に、例え今思わないことにしたとしても、そう思うこともできるようになること、それが窮地からの脱出には、どうしても必要でした。

しかし、精神的に苦しい状況にはあったものの、去年の私は例年に劣らないくらいには多くの事をなすことができました。
詳しくはいずれ記すとして、ここで簡単に記します。

今年4月からNAISTに行くことになりました。
これまでは何かと…でしたが、ここで真に全力を尽くし、自分の能力を見極めます。
私にとって恐らく、現時点でこれ以上ない最上の環境です。
何にも邪魔されず一心に目標へと突き進むことができると信じています。
あとは頑張って学費・宿代を全額自分でなんとかしたいと思っています。

去年は中高時代の友人の誘いで仕事もすることができました。
ただ幾らか特殊な会社だったこともあって、良くも悪くも多くの経験をしました。
大学一年の頃、別の友人に誘ってもらった会社のアルバイトと比べると、業務内容は近いのにそれ以外が正反対というような、そんな感覚でした。
ここで免許代が一撃で稼げました。また、新たなスキルを身につけました。

勉強の方も、世の中の素晴らしい人に全然追いつけず、独学では置いていかれるのではないかと思っていたところに、スタンフォード大学の試験的な取り組みでオンライン講座が始まりました。ラインナップもまさに「機械学習」、「人工知能」、「データベース」と、まるで自分のために開講されたかのようでした。大喜びで受講し、結果、全てで好成績をあげました。これまでの数年で欠けていたものを一気に取り返したような気持ちでした。

そして今年さらに完璧に自分の分野と一致する「自然言語処理」の授業が始まります。
4月になって走り出す前に、私自身の独学での準備に加え、最先端の大学にも支えられて準備ができます。

本記録はこのくらいにしておこうと思います。
もう十分長く書きすぎました。恐らく回復はもう十分なところまで来ているでしょう。

今年は、必ず素晴らしい年にしてみせます。そうでなくてはなりません。

ここまで支えてくれた人に、心より感謝いたします。
これからも、よろしくお願いいたします。

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