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今に限った話ではなく、性格的なものだと思うが、日常の経験を語ろうとすると、なかなかまとまった話にするのが難しい。

なぜだろうとよく思うのだが、記憶があふれかえるほど思い出されてまとめにくいこともあるが、やはり一番の理由は、誰が読んでも極力問題がないように色々な意味でできる限り校閲していることだろう。理論的というよりは直感的にやっていることとはいえ、相当複雑な処理をしていて負荷が高い。

とはいえ、いつも思っているが、状況を変えたい。
インターンでも色んな言葉を頂いたが、そのいくつかに共通する背景に、端的に言えば「寡黙すぎる」と評価されている部分があったので、最近久しぶりに自分の行動方針を変える気になった。もっと言えば、それは知っていたが変えられずにいて、やっと変える方法が少し見えそうな気がしてきた。

とりあえず、何も考えずに書きたいことを書こう。

この先、具体的にどんな風にしたいかと言うと…
・恥は少しずつ、時間をかけてできる限り捨てる。ただし、無茶はしない。(これまでは、恥はできればかかないようにしつつも、多少無茶をしてみることで行動力を確保していた。無茶は精神に負荷がかかりすぎる。)
・何かが言えるか言えないか微妙な時は、(できればその微妙な気持ちが伝わるように工夫し、その余裕がなければそのまま)言う。(これまでは言わない方を選択しがちだった。)
  ・何かを言いそびれたと思った時は、くだらないことでもほぼ無条件に言う。(これまでは重要でないことは言わなかった。)
・いきなりまとめようとしない。正確さを求めない。(これまでは考えがまとまるまで、自分がすぐに気づけるような不正確さがなくなるまでは発言をしなかった。)

そして、最後に、こういったことを実践しながらも意識しない。
最近までの自分は、中高時代に比べたら少し行動力が落ちている部分があるのではないかと思わなくもない。
もしそんな部分があるとしたら、無意識に自分に制約をかけすぎていたのではないかと思う。
そしてそんな制約がどこから来るかというと、上に書いたような、良かれと思ってあれやこれや意識に加えてきた考えなのかもしれない。

だから、色々考えた挙句に出てくる答えは、

ただ、話すこと。

少なくとも、日常的な言葉に関してはそれしかない。突然自分の性格が変わることもないし、見た目が変わることもない。ただ、これまでよりは余計に話をします。それだけだ。

この記録さえ、まだまだ校閲されすぎている。だから、もっと、もっと緩くしていく努力をとにかく試みる。

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