またつまらぬものを作曲してしまった……。

http://wacca.tv/m/1775/

目指したのは和風のメロディーだったのですが…。

なんだかもうよくわかりません。il||li _| ̄|○ il||li

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最近は日記さえろくに書けないが、書くことがないというわけではない。

ただ、急な環境変化についていくので精一杯だったのだろうと思う。

予備校は3週以上が経過し、漸く、校舎のスタッフの方と接することに対する緊張は少なくなってきた。

毎週座席が変わってしまうこともあって、友人はなかなかできないが、一人でも十分楽しくやっていけるのがこの予備校の不思議なところである。

一週間に30人くらいの教員から授業を受けている計算になるのだが、

教員はその一人一人が、私のいた高校にいた教員をも凌ぐような個性を持っていて、

それぞれの情熱がとても心地よいものにさえ感じられる。

教えられる内容についても、初耳であるような内容も意外と多い。

高校教育では誤魔化される内容も結構説明してくれるからである。

そのためか、日々「へー」と思うような感心が尽きない。

予備校は思っていたより私を勇気づけてくれるところだった。

これならば別に浪人も悪くはない、と思えるのである。

勉強に限らず、人を学ぶこともできているに違いない。

現在は一時的に週7日予備校があり、休みは無い設定なのだが、不思議とそこまで疲労はたまらない。それは理由の一つにこういった過ごしやすさがあるからだと思う。

これならばいけるかもしれない。

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人と話すとき、無意識であるとしても、人は必ず相手の何らかの反応を頼りに感情をつかむものである。

例えば会って話をするときは、声色からも感情は伝わってくる。

だがネット上ではどうだろう。

顔は見えず、声も聞こえず。しかし、言葉は手紙とは異なり、喋るのとほぼ同等の速度で文字として伝えることができる。

このとき、人によっては全く相手の感情を掴めなくなったり、自分の意志をうまく伝えられなくなったりする場合も少なくないようだということに気付いた。

この現象、ネット弁慶とも関係が深いように思えるが、最近は意外と深刻なものだと思うようになってきた。

もちろん今現在のネットにおけるコミュニケーションのスタイルは、少し時代が進めばすぐに変化していくものであるはずだから、こういった問題は今の時代限りなのかも知れない。逆もあり得るが。

しかし、一時的だとしても、このスタイルに適応しきれない人がいるとするならば、それは確実にその人の人生の大半においてネット上におけるコミュニケーションで苦痛を感じ、いろいろと意志疎通の失敗なども起こしてしまうだろう。

一つ不思議なのは、どんな人であれ、会えば同じように他の人と対話が可能なのに、

その対話における言葉選びの基準、つまり相手の気持ちなどを読むことに関しては、人それぞれ様々な方法を用いていることである。

普段から、言葉選びの基準として、自分を相手の立場に置き換えて言葉を選んでいるならば、別に相手の表情が見えないからといって、全く予期しない反応が返ってくることはあまりないように思える。

しかし、最近気付いたのは、その方法を全く用いずに言葉選びをしている人でも、

現実世界においてはそれほど問題がないらしいということである。

そして実際、そんな人がいるらしいと思える事件が身近で起こった。

その人は本当に全く相手の立場を気にしないというわけでもないのだが、相手の捉え方にどのようなものがあるかということに関する勘が弱く、また、自分の感覚が大体通用するはずだと思ってしまっているのではないかと思う。

私は、相手に対して何らかの軽い忠告もできるはずなのだが、なぜかもうその気は起きない。

見過ごすわけにもいかないが、この場合の対処法を私は知らない。

伝えようにも、相手がこちらの気持ちを読めないのである。

かといってわざわざこんなことで電話するようでは何様だということになりかねない。

いつか出会ったときにでもうまく伝えられれば良いのだが。

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