最近独り言ばかりだ…

以下は以前言っていた「詳しいこと」ではない。それはまた日を改めて記す。
あと、文章校正をする暇もないので大目に見て欲しい。

…日常や学校でボソボソ何かを呟いているわけではないが、妙に落ち着かない心持ちになってしまった気がする。
現にこうして記録に意味のはっきりしない物事を連ねることが多くなった。私はこれを「独り言」と呼んでいる。

高校時代の私には記録を元に自分の感情や行動原理を読み解こうとしていた時期があった。
今は…そんなことは特に考えていないが、逆に自分が何を考えたいのかを知りたいと思っている。


…何故か今夜も眠れない。仕方がないからこの記録を書き、2時台でなんとか寝付きたいものだ。
昨日は2時間も寝なかった。それまでは平均3時間睡眠だった。昨日の朝、雨の中を走ると足が痛んで使い物にならなくなった。
さらに心拍が一日中、少し異常なままで、ペンを握るような動作をしようとすると手が激しく震えてしまった。
だから眠りたい。なのに心身共に言うことを聞いてくれない。

…高校時代は夢をいくらか持っていて、それだけで心が満たされていたから、不安の少ない人間でいられた。
…今は、新しい夢を探している。以前の夢は古く、頼りない。

それに、以前の夢ではもう、今の私にとっては目眩ましになってくれない。

入学も終え、とにかく苦しみを終え、部活に入ることもして、転科もした。

…最近気がついたのだが、変化がなくなると不安で仕方がない。

変化のない、平和な日々…のんびりと絵でも描けるようなあの時間…は、本気で味わえるのは私に関しては小学生の頃までだろう。

最近では自分の言動の制限が徐々に外れつつある。いや意識して外そうとしているのかも知れない。

中高6年間殆ど同年齢の女子とは口も聞いたことが無かった私は女子との普通の話し方も自然な視線も忘れてしまっていたが
最近急にそれらが何もかも関係無くなるような、意識の外れるような感覚になっている。

男子に関しても同じで、急に全てどうでも良くなってきた。
話しかけにくい時とかそんなのは、どうでも良くなってきた。

今の私だと、急に誰に何を言い出すか、何を始めるか私にもわからない。それが今怖い事の一つ。

と、思い込みたいだけかも知れない。以前と変わらない私とそういう私が共存しているような、そんな感覚。

…また何か探そうかな…。
駄目だ、わからない、嫌だ、五月蠅い…何か、記憶が巡りすぎる…

皆にもあると思う。様々な、それぞれ関係のない記憶が次々と頭を巡り、その中にいくつか悩み事も混ざっていることがあって、とにかく嫌な気持ちになることが。

昨日は、たくさんの知人友人に出会った。
一人目は私を見たように見えたが素通りされてしまった。
二人目は私が急いでいたから素通りしてしまった。
三人目は私が見えたらしく、挨拶できた。
四人目は二度以上正面から素通りされてしまった。
五人目は私が見えたらしく、話をしてくれた。

…私は嫌われるのが怖いのだろう。それは否定できないことだと思える。

…私があと少し勇気があれば…人見知りがなければ…

…二ヶ月?…いや…このままだと特に変化もなく夏に差し掛かる確率も高い…

今までの生き方、満点には程遠いどころではないが、それでもそれなりに満足してきたつもりだった。
私の価値観というものをいつの間にか設定して、善し悪しを決めてきた。

でも何だったのだろう。
普遍的な価値観などほぼ存在し得ない以上、一度価値観を疑い始めると普通などというものはどこにもない。
加えて私は別に普通でありたいとか特別でありたいというようなこだわりもない。これはいつかの一般人の定義とはまた別の話だ。

どうするか。
一度自分自身の価値観とか規律とか秩序とか全部外してみようか。

自分自身の独自の制限を全て無視したら私は最初に何をするんだ…?
それが本当は一番私が求めていることなのか…?

私の記憶のうち願望に関係する物事の本質は何だ…?
それら全て解放したらどうなる?

仮に全て思い通りにいかなくとも、全て実行してそれに伴う何かに対する処置も全て終えて全て…思うことを無くすことができたら、その時はどんな気持ちになるだろうか。

人間の、何か行動しようとする意志というものの根源は何だろうか。

何かが楽しいってどういう意味だろうか。
私は楽しいことを知っている。だが何故楽しいのかがわからない。

外界の情報、それの受容。その情報と、意味付け。
意味付けはどういう作業だろう。

最初は何もわからない。
或る情報が二度以上確認されると、共通点と差を導き出すことができる。
共通点と差と新たな情報との共通点と差を導き出すことを続けていくと意味付けから解析ができる。

楽しいことは、安心することだ。落ち着くことだ。
それと適度な緊張と、自分が良いと思うこと。

もしこれだけなら楽しさには明るい楽しさも暗い楽しさもある。

安心と落ち着きは、心配がないことだ。
考えを紛らわせずに済み、知っている範囲であり対応が可能。

ところで今の私に楽しさは必要だろうか。
楽しさは重要だがいつも楽しいと考えの及ぶ範囲が狭く…なるとも思えない。
しかし立ち止まるとか悩むとかいう状態は普段及ばない範囲まで考えることができる。

しかし適度な安心をして何か一つの物事に対して例え暫定的であっても対応可能なものとして次の物事に考えを回す必要もある。

楽しいことがあってもずっと同じ事を続けるのは危険だ。
一瞬でも他の考えを導く必要はある気がする。

とりあえず今の段階で言えることは
楽しさは弾くものではない。何か適度にそういうものを求めるのも問題ない。
今まで研究だの夢だので満たされた気分になっていたのは見直すべき。扱える物事の数を減らしている。見通しが効かなくなっている。何らかの誤魔化しにさえなっている恐れがある。変化のない日々に不安を覚えるのは恐らくこの誤魔化しが外れることがでてきたためか。いや研究や夢はそれだけでも扱う物事の数として多すぎることがある。直ぐに実現しようと思うテーマが確実に減ったことで、普段隠れていた不安が見えてきてしまったのだろうか。
今の私は人に対する方法が若干変わっている。
気力復帰の方法として対人が鍵を握る可能性がある。

…今までの話全てを一言でまとめよう。

「誰かと話したい」
…恐らく、今回の話はこれだけだ。
他人には意味がわからないかも知れないが、私の無意識下では、多分そういうことになっている。

…とりあえず眠れなくとももう強制的に寝るべきだろう。
それに今回の独り言ではこれ以上の進展は望めない。
次は「詳しいこと」を書き、他の視点を確認したい。それから、この先の生き方を予測したい。

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